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28歳既婚男性の日々の悩み

syrup16g Tour2019.10.04 SCAM

先日syrup16g のライブを初めて見た。

 

BUMP OF CHICKENが大好きなので、その繋がりで名前は知っていたし、曲もYouTubeで何度かレベルでは聞いたことがあったが、ちゃんとsyrup16gを聞いたのは大学生になってからだった。

最初は声が苦手かもしれないなと思ったことを覚えている。でも、なんども聞くうちに、生きづらさを抱えたメンタルがそのまま痛みとして伝わってくるような歌詞と個性的でありながらめちゃくちゃ上手い言葉選びやイメージの伝達力や押韻のうまさとメロディの良さや物哀しさを感じて、夢中になった。

聞き続けていく中で、フロントマンである五十嵐隆さんについてもインターネットでエピソードや人柄なんかを調べたりして、五十嵐隆さんへの愛おしさみたいなものが深まっていった。

でもその頃にはsyrup16gは解散していて、ライブを見ることは叶わなかった。

その後2013年〜2014年にかけてsyrup16g再結成の騒ぎや動きがあって、彼らは戻ってきた。

大学を卒業して、社会との摩擦に磨り減らされる中で、前向きで潰されないメンタルを身に付けてきたと思うけど、それでも心の奥深くに根付くように、syrup16gの曲はもっと深く響くようになっていた。

だから僕は当然ライブを見たいと思っていたけど、土日のライブがなかったり、解散と時間を経てある種神格化さえされたこのバンドのチケットはなかなか取りにくかったりで見る機会に恵まれなかった。

今回、ようやく彼らのライブを見られたけど、僕はsyrup16gのライブを見るということにちゃんと向き合えていなかったのかもしれない。

 

syrup16gの歌詞は、自己批判や更にはそれらを利用して曲を作る自分の汚さや醜さを描いている。安心を否定し、社会という物差しの中で他人と比べての自分の不完全さや、生きづらさからくる自棄的な感情を描く。殆どの曲がおそらく作詞作曲を手掛ける五十嵐隆さんの自分自身への感情だけを描いている。

メロディはそれを補強するかのように美しかったり、暗かったり、衝動に満ちていたりする。

そんな曲を作ってきた五十嵐隆さんはどんな気持ちでライブに向き合うのか僕には分からなくて、どんな風な心持ちでライブを受け止めていいか分からなかった。

向かう先が自分自身で、自己憐憫に酔うことも許さず、楽しむような明るさでもない、誰かを励ますためのものでもないような曲ばかりをどんな気持ちで演奏してどんな気持ちで歌えるんだろうか。しかも恐らく、曲を作った時そのままの感情を五十嵐隆さんはもう持っていなくて、今は今の感情があるのだ。

ライブを見て身体を踊らせながら、ずっとそんなことを考え続けていた。安易に共感することも楽しむことも出来ないし、してはいけないように感じた。

ライブは行われて確かに僕はそれを見たという事実以外僕は受け止めることができなかった。

 

MCでこんな46歳で恥ずかしいと零す彼はスポットライトを当てられる演出に何を思ったんだろうか。

せめてステージに上がっている間は少しの高揚と幸福を感じられていたら良いなと思った。