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28歳既婚男性の日々の悩み

BUMP OF CHICKEN TOUR 2019.11.4 aurora ark

バンプのツアーファイナルを東京ドームで見た。

今回のツアーは最初の会場のメットライフドームでも見ていたし、アンコールを除けばそれと完全に同じセットリストの日だった。

でも、2週間近く経った今日もまだBUMP OF CHICKENへの熱が冷めない。

何が理由かは分からないし、個人的な思いがああいう形で表出しただけなのかもしれないけど、あの日の藤原基央は様子がおかしかった。それこそ本当に最初から、藤くん今日テンション高いな、いつもよりカッコつけてるな、イキり感すらあるななんてことを思いながらずっとライブを見ていたら、アンコールが終わってからの俺のバンドカッコいい発言からの突発2曲が始まった。

いつもしっかり練習して、最善の状態でパフォーマンスを見せるバンドが、こんな感情の昂りだけで、いろんな至らなさも抱えながらも、めちゃくちゃカッコいい本当の意味でナマのライブを行ったことに心を動かされたし、涙がこぼれた。この数分間だけで、このバンドの今までの全部が本物だったと信じられたし、これからも信じられる気持ちになった。

 

ライブを見る前からずっと流れ星の正体という曲について考えていた。ライブを見てもっとこの曲について思いを馳せた。

昔から藤原基央は相手のためにと思うエゴを肯定する人間だった。真っ赤な空を見ただろうかや、ひとりごと、セントエルモの火といった曲や、ラジオやインタビューでの発言からも見て取れる。多分彼の中でみんなに音楽を届けたいと思える原点がこの考え方にある。

昔ラジオで(それがエゴだとしても)優しくなりたい人は優しい人だと思うと言っていて、高校生の頃その言葉に随分救われた。

流れ星の正体は、つまるところそういう気持ちの詰まった曲だ。いまのBUMPがどんどん新しいことをすることや、大きくなっていくことの理由が感じられる曲。

BUMP OF CHICKENは相手が今BUMPの曲を必要としてなくても必要な時に気付けるように、歳を取ってBUMPから離れていった人にすら届くように、君の事情とは関係なくいつでも目を向ければ側に居られるように、お節介のエゴ全開で、全力で各々に寄り添う曲を作り続ける。そんな強い意志がこもった曲だ。

強く歌い切って終わるところが僕はとても好きだ。

 

勝手に全力で曲を届けてくれるから、勝手に全力で受け取り続けるよ。

syrup16g Tour2019.10.04 SCAM

先日syrup16g のライブを初めて見た。

 

BUMP OF CHICKENが大好きなので、その繋がりで名前は知っていたし、曲もYouTubeで何度かレベルでは聞いたことがあったが、ちゃんとsyrup16gを聞いたのは大学生になってからだった。

最初は声が苦手かもしれないなと思ったことを覚えている。でも、なんども聞くうちに、生きづらさを抱えたメンタルがそのまま痛みとして伝わってくるような歌詞と個性的でありながらめちゃくちゃ上手い言葉選びやイメージの伝達力や押韻のうまさとメロディの良さや物哀しさを感じて、夢中になった。

聞き続けていく中で、フロントマンである五十嵐隆さんについてもインターネットでエピソードや人柄なんかを調べたりして、五十嵐隆さんへの愛おしさみたいなものが深まっていった。

でもその頃にはsyrup16gは解散していて、ライブを見ることは叶わなかった。

その後2013年〜2014年にかけてsyrup16g再結成の騒ぎや動きがあって、彼らは戻ってきた。

大学を卒業して、社会との摩擦に磨り減らされる中で、前向きで潰されないメンタルを身に付けてきたと思うけど、それでも心の奥深くに根付くように、syrup16gの曲はもっと深く響くようになっていた。

だから僕は当然ライブを見たいと思っていたけど、土日のライブがなかったり、解散と時間を経てある種神格化さえされたこのバンドのチケットはなかなか取りにくかったりで見る機会に恵まれなかった。

今回、ようやく彼らのライブを見られたけど、僕はsyrup16gのライブを見るということにちゃんと向き合えていなかったのかもしれない。

 

syrup16gの歌詞は、自己批判や更にはそれらを利用して曲を作る自分の汚さや醜さを描いている。安心を否定し、社会という物差しの中で他人と比べての自分の不完全さや、生きづらさからくる自棄的な感情を描く。殆どの曲がおそらく作詞作曲を手掛ける五十嵐隆さんの自分自身への感情だけを描いている。

メロディはそれを補強するかのように美しかったり、暗かったり、衝動に満ちていたりする。

そんな曲を作ってきた五十嵐隆さんはどんな気持ちでライブに向き合うのか僕には分からなくて、どんな風な心持ちでライブを受け止めていいか分からなかった。

向かう先が自分自身で、自己憐憫に酔うことも許さず、楽しむような明るさでもない、誰かを励ますためのものでもないような曲ばかりをどんな気持ちで演奏してどんな気持ちで歌えるんだろうか。しかも恐らく、曲を作った時そのままの感情を五十嵐隆さんはもう持っていなくて、今は今の感情があるのだ。

ライブを見て身体を踊らせながら、ずっとそんなことを考え続けていた。安易に共感することも楽しむことも出来ないし、してはいけないように感じた。

ライブは行われて確かに僕はそれを見たという事実以外僕は受け止めることができなかった。

 

MCでこんな46歳で恥ずかしいと零す彼はスポットライトを当てられる演出に何を思ったんだろうか。

せめてステージに上がっている間は少しの高揚と幸福を感じられていたら良いなと思った。

 

未来

このところ暗いニュースが多くて、子供を欲している身としては日本という国への希望が持てないのはあまり嬉しくないし、ただでさえ頑張って生きているのにこれ以上の努力を求められる社会は本当に厳しいものがあるなと思う。

 

でも、僕は未来に対して無条件に眩しさを感じている部分がかなりあって、希望が持てる現実的な話題が全くないにも関わらず、未来に希望を抱いている。

組織の腐敗とか、国を動かすシステムの問題とか個人の力ではどうにもできなくて考えると諦観だけが押し寄せるような物事はめっちゃ多いけど、1つだけ信頼できるのは、開発をすることが好きで、なおかつ賢い人がこの世には一定いて、俺が何もしなくても毎日少しずつ誰かが技術を革新していってて、今より便利な世の中が必ず訪れるということで、それを考えると国がどうなっていようと世界そのものは豊かになるよなという気持ちになれる。

 

サブスクサービスで僕の音楽体験ははちゃめちゃに豊かになったし、IMAXやドルビーシネマがあることで映画館で映画見るのがめちゃくちゃ楽しいことになったし、お掃除ロボットのおかげで何もしなくても部屋が綺麗になったし、超音波歯ブラシのおかげで持っているだけで歯が綺麗になるし、スマホのおかげで大体の欲求を低コストで手軽に満たせるようになった。

いつか技術の発展が、国という枠組みから人を逃げやすくしてくれると思っている。

 

100年や200年や1000年先の未来の技術を見られないと思うと死んでしまうことが勿体なく感じませんか?

モラトリアム

丁度僕なんかの様に

君なんかの様に

不完全なもんが合わさって

たまに完全に見えるんだ

でもすぐその角度を忘れてしまうんだ

 

レミオロメンのモラトリアムという曲の歌い出しだ。

この詞について最近とてもよく考えてる。

僕はこの曲自体ももちろんだけど、詞がとても好きで、ここに全ての詞を書いて、読み返して自己満足に浸りたいぐらいに良い詞だと思っている。

 

僕の考え方として、誰かがいなくても一人で自分を自分にとって完璧な状態にできることが大事なことだとは思うんだけど、そういう事とは別に、誰かとうまく寄り添い合えた時にお互いが満たされて今この瞬間が全てだなみたいな感覚になることがある。

そんな時間を沢山作れると良いなと思う。

 

只々雨が降る様に 海が揺れる様に
優しい気持ちでいたい

人生長すぎ

いつか死ぬしどうでもいいやんとか思っても、実際のところ人生は長いので色んなことをちゃんと考えてかないと、結局ツケを払うような場面くるよねみたいなことを最近思ってる

宇宙の大きさに比べたら人間の悩みのちっぽけさなんて取るに足らないとか思っても、現実的な解決は示されないので結局なんの解決にもならんよねみたいなこともよく思う。

 

仕事も旅行も段取りが8割みたいなのと同じで、人生も事前準備8割みたいなとこあって、その辺ちゃんとやっとかないと心地良く生きられないし、その辺ちゃんとやっとくと心地良いサイクル生まれて持続させやすい。

 

でもまあ考えること多すぎるし、そもそも仕事を8時間以上週5でこなしながら家事とかして、楽しめることも探して、図書館で借りた本返したり、スーパー行ったり、クリーニング出したり、俺の体力精神力に対して生きることのタスク量多過ぎるし、常にご機嫌前向きメンタルでいられるわけでもない。

人生長すぎでしょ。

 

こういう気持ちとやったるで!みたいな気持ちの間を行ったり来たりヤジロベエみたいな絶妙なバランスで生きてます。

aurora arc

昨日仕事で割としんどいことがあって、(ここ数日の仕事を巨神兵ビーム庵野秀明作画で薙ぎ払われた感じの出来事)結構落ち込んでいたんだけど、aurora  arcが郵便受けに届いてることがわかって、駅から家までの帰り道を走って帰ってる間に、そんなこと全部忘れた。

 

家に帰ってからaurora  arcを聞いて、繊細な心の状態にはなったんだけど、心地いい繊細さで、満たされた気持ちになった。

 

仕事のことよりもずっと大きく心を動かすものが今でもあることに改めて気付けたことが何よりも嬉しい。

 

チャマのインスタグラムのイエローナイフでのメンバーの集合写真(電車?バス?に乗ってる写真)が泣けるぐらい素敵だ。

 

BUMPについて妻と話し合ったり、ライブに何回も妻と行けたりすることを思うと、生きてると良いことあるなと思うし、自分の脚でここまで歩いてきて良かったなと自分に対して誇らしい気持ちを持てる。

 

BUMP OF CHICKENからのインプットだけで心を満たして数日過ごしたい気分。

仕事

昨日自立しようぜみたいなこと言っておいて言うのもアレだけど、僕はとにかく働くことが嫌いだ。ビルゲイツが月30万くれたら働かずに一生生きていくのにみたいなことを中高生の頃、友達に話していたぐらいには働きたくないし、妻と付き合っていた大学の頃は結婚したら専業主夫にして欲しいみたいなことをよく言っていた。

夢だった司書の仕事は、本が好きというのも勿論あったけど、なりたかった理由の大部分は仕事が楽そうだからという事が占める。(あまりの給料の安さ、公務員ルートでの司書になる方法のアンコントローラブルさに諦めた)

働きたくなさすぎて学生時代も殆どバイトをせずに親からの仕送り7万円で4万円弱の家賃を払い生活費をやりくりし、貯金までしていたほどだった。

今でも働かなくても誰にも迷惑をかけずに生計を立てて生きていけるなら働きたくない気持ちはあるし、やりたくない仕事はあってもやりたい仕事は全くない。就活の時も年間休日数だけで会社を決めた。

 

それでも人生残り60年で考えても40年ぐらいは1日8時間以上の労働をし続けなければならない。うぅ、気が遠くなる、考えるだけで目眩がする、叫び出したくなる。

 

僕は人の役に立ちたいとか生産性がないなら生きてる価値がないみたいな思考も殆ど持ってなくて、生産的でなくても生きてるだけで人間には価値があると思うし、実感しやすいかどうかだけで、お金を貰ってなにかを代わりにする以上そりゃなんらかの役には立ってるだろうと思うし、そういう観点で仕事を選んだり前向きに捉えたりすることも苦手だ。

 

まあでもマイナスなことしかないわけではなくて、仕事をする事で、というか組織に属して1つの目的を持って協同で作業をする事で学んだことも沢山あって、来世があってもまあ仕事の経験しておくに越したことはないよなぐらいには思うようになった。

 

じゃあ仕事を継続しながら、なおかつ楽に生きていこうと考えた時にどんな考え方があるだろう。

①仕事に心を捧げて仕事自体を楽しむ

②仕事をとにかく手を抜いて行って、プライベートを充実させる

③職場での人間関係を充実させて、職場自体を楽しむ

僕が考えられるのはこんなもんなんだけど、①にはかなり落とし穴があるよなと思っていて、当人の能力次第で職場から要らない人とされる可能性もあるし、会社がなくならない保証もないし、仕事の時間が伸びるほどプライベートの時間は減るので、仕事以外のコンテンツを知らなくなっていくし、そうなると60〜70歳の仕事しないでよくなって気力の落ち始めたところから、20年間の暇を潰せる仕事以外のコンテンツを見つけなければならなくなる。

かといって②を選べば少なくとも1日の8時間はつまらない時間を過ごすことになる。

③は職場の人にもよるし安定しない。

つまりどう選んでもしんどいのが仕事なのだ(真理)

 

仕事ってなんでこんなにしんどいんでしょうね。

都内で土日休みで転勤のない月残業40時間程度までのところに転職したい。いつ仕掛けようか悩み続けて3千年経った。